2014年08月28日

「携帯メール」(7)

(6)


新しい一年が始まった。

私がこの携帯を持ち始めて1年。

携帯電話とインターネットで私の人生が変わった。

これまでなら知り合えないような人たちとも知り合いになれた。

そこでの交流を、今のパートナーは知らない。

彼は仕事から帰宅すると新聞を読み、テレビを見て、時間が有ればネットにもつなぐ。

彼のネットを通しての友人を私が知ることもない。

毎日の平凡な人生が嫌いなわけでも、今の生活に不満がある訳でもない。

子供達も徐々に私の手から離れてきている。




新しい人生を考えてもいい。

主婦として母親としての役割が間もなく終える。

妻としての役割がいつ終わるのかは分からない。

そこに終止符を打つつもりが私の心の中に有るのかも分からない。

ただ、あの人との交流も持ちつづけたい。

この関係がいつ終わるのか、どのようにして終わるのか、考えてみることもある。

でも、いつもそれは想像できなかった。



携帯メールをやり取りし、ごくたまに食事をしデートをする。

5年後の生存率にどんな意味があるのかも分からない。

私の5年後?

一年後すら想像できなかった。

あの人と巡り会うことも一年前には分かっていなかったのだから。

自分とパートナーと子供達の年齢だけがはっきりとした数値として分かるだけ。

私の5年後の生存率は、きっとあの人と変わらない。

世界中の人とも変わらない。

5年後の世界に私が存在する確率は不明……。





今年の私の目標は、自分のライフワークを見つけること。

どんなささいなことでもいいから。

私が存在するために必要なライフワーク。


あの人は50歳で会社を辞め、自分の夢を追いかける。

私も少しはそれをサポートできるかも知れない。

でも、私の夢の代わりにはならない。


今年はイタリアにでも行ってみよう。

もう何度か行ったことがあるので友人も多い。

新しい世界を見れば、視野も少しは開ける。

新しい出会いが、また私を新たな世界へ連れて行ってくれるかもしれない。

新しい一年を迎え、まだ活気が戻っていない街へ出かける。

駅前にある本屋で、イタリアの本を買った。

本を抱え、近くの神社に初詣を兼ねてお参りにゆく。

おみくじを買っている時に、あの人からのメールが届いた。


『癌が再発。来月オペの予定』

携帯電話を見つめた。

北風で携帯を持つ手が冷たくなるまで。



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2014年08月26日

「携帯メール」(6)

(5)


『オペ終了。フラフラだよ。フルマラソンを走った後のようだ。でも完走したよ。きみが待っているゴールに一番乗りさ。』


24時間ぶりに携帯メールを送信。


『お疲れ様!完走おめでとう!あなたのくったくのない笑顔が目に浮かぶわ。ゆっくり休んでね。』


僕の本当の笑顔を知っている数少ない人。

僕の救助信号を感知してくれる唯一の人。

遠く離れていても。


静かに自分を見つめることが出来た時間だった。

死と対峙した時に、人間は初めて自分のやりたいことを理解できる。



企業での利潤追求の仕事は50歳までに、切上げよう。

それまでには子供達も成人している。

あと10年弱を会社勤めしたら、それから先の人生はフリーで働くという夢。

漠然とした夢だったものが、形として捉えられるようになってきた。



ネット社会は、地域によるデバイドを消失させつつある。

どこで働いていても、ネットの中では自分が情報の中心になれる。


東京で働く必要が無くなれば、ジャズの流れる港町に住み、小さなオフィスで海を見ながら働こう。

利潤追求に囚われ、患者の利益より企業の利益を優先させる会社生活にピリオドを打つ。

ベッドの中で、吐き気に襲われながら、はかない夢を現実化させる方法を考えながら眠りについた。



一週間後、癌細胞の再検査の結果が分かった。

比較的、性質の良い癌だった。

「5年生存率は90%以上です。」

医師は微笑みながら言った。

……それは確率の問題だ。

ぼくが残り10%のほうにいたとしても、不思議ではない。



病院からの帰り道。北風の中を町を歩く。

胃の中まで、風が吹き抜けて行くようだ。

枯葉はもう姿を隠し、町はクリスマスのイルミネーション一色だった。

ジングルベルの歌を聞きながら僕は携帯で彼女にメールを送る。

『僕の5年生存率は90%だって』

『あら、いいじゃない。私の5年後の生存率なんて分からないんだから。
ところで、素敵な海岸沿いのレストランを発見!あとでPCのメールで連絡するわ。』



はかない夢でも、現実化させないといけない。

僕に残された時間を考えると、決して夢を遠くに見てる余裕は無かった。

しかし、それはなにも病気になったからという訳でもない。

本当は、余裕が無いことを自覚したくなかったからかも知れない。

誰もが、自分の時間に区切りをつけて考えたりしないだろう。

明日が永遠にやってくると思い込んだふりをしているだけだ。

それこそ、はかない夢なのかもしれない。


北風の中を僕は地下鉄の駅に向かった。


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2014年08月25日

「携帯メール」(5)

(4)

あの人の病気のことを、一人で考えていると知らないうちに涙が出てくることがある。

私に出来ることは祈ることだけ。

あとは、携帯メールでいつものように他愛の無い話題をして、あの人が少しでも病気のことを考えないようにしてあげるだけ。

これは、人生のなかの一つの出来事でしかないと思うようにしてあげる。

朝、起きてトーストを焼くように。

夜、眠る前にハーブティを入れるように。

涙を拭き、明るい心に切り替える。

私の心があの人の心に反応してはいけない。




海岸通りの、海が一望できるレストランを雑誌で探す。

二人で、小さな島に行くのもいい。

それも、全ては明日の手術の結果しだいなのか、どうか。

私には詳しいことは分からない。


雑踏の中を歩く。知らない人が私にぶつかる。

人ごみは嫌いだから、人の通らない裏道が好き。


あの人の行為が全て、私に伝わってくることはない。

多分、外来受付けまで出てきてメールを送ってくれる。

多分、入院ベッドの上で、明日の手術を考えている。

そして、海が見たいと答えてくれる。


私に出来ることは、祈るだけ。

裏通りのビルに挟まれた夜空を見上げ、月に祈る。



わずかで貴重な時間に、電車で駆けつけてくれるあの人の行動力が私をあの人に惹きつける。

私が困っていると、私の住む街までやってきてくれる。

いつも笑顔で迎え、笑顔で別れる。

遥かな「のぞみ」なのかもしれないけれど、私はあの人と共有できる時間を独占したくなることがある。

あの人に残された貴重な時間を。

首を振り、ため息をつくと街を歩く。

とにかく手術の結果がどうあれ海を見に行くことを決め、私は電車に乗る。

癌細胞があの人の体を蝕むようなことはさせない。

私には科学の知識も、医学の知識も、薬の知識も無い。

でも、あの人は抗癌剤の新薬を開発していたこともある。

その人が大丈夫だと言うなら、私はそれを信じていく。

「あの人には癌を再発させない。」

死を思うことが、生をよりかけがいのないものにさせる。



初冬の海へ。

襟を立てながら、山から吹き降ろす北風の中を二人で歩く風景を想像する。

ジャズの似合う街並みが好きだと、あの人は言った。

そして

『君と「風の歌を聴け」の風景の中を歩きたい』

とメールで送ってきた。

そこは私の生まれた街にも近い。

……気がつくと、私は恋に落ちていた。


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2014年08月21日

「携帯メール」(4)

(3)


仕事も同僚との付き合いも、今まで通りと同じだった。

僕の病気を知っているのは、携帯の電波の先にいる彼女だけ。

彼女は、今までと同じように明るいメールを送ってくれる。



『月と太陽と4月の風。あなたが好きなのはどれ?』

『優しい月の光』

『私も月は好き。でも、明るい太陽の下も好き』

『僕は夏から秋にかけての季節の変わり目も好きだな』

『春よ!絶対に。これから!という感じでしょ?』


……。

いつもの会話が、僕の心を和ませる。


僕の体内で、今でも我が物顔で増殖し、自分の分身を僕の体中に、ばら撒こうと機会を伺っている癌細胞。

笑いは免疫力を高める。

病気は、自分との戦いだということを痛感した。

精神的に参ってしまっては、肉体も負けてしまう。

少なくとも、彼女とのメールでは、病気の話しは二度と出なかった。



毎日、眠る前には癌細胞が消失していくイメージを頭に描きながら眠りについた。

それは間違い無く、生きる目的を考えさせ、自覚させる時間でもあった。

何故、そこまでして病気と戦うのか?

「死」が怖いからだけなのか。

そうではない。

僕の肉体がこの世界から消えたら、逢えなくなる人がいるからだ。

意識の消失で、その人の笑顔が見えなくなる、声が聞けなくなる、言葉のやりとりが出来なくなる。

耐え難い孤独が永遠と続く……。

何故、こんな単純なことに気がつかなかったんだろう。

僕は、その人のために病気と戦う。


ファイバーを使っての癌の切除。

今朝、手術の説明を医師から聞いた。

ファイバーを口から入れ、癌をかきとる。局部麻酔で済むとのこと。

今日のお昼から食事は無し、点滴だけでエネルギーを維持する。

明日の朝9時から手術を行う。



朝が過ぎ、お昼が過ぎ、そして、暗い病室で一人、明日の朝からの手術を思い浮かべ夜を過ごす。

漆黒の闇。

廊下を歩く看護婦の足音。

遠くで聴こえる街の喧騒。酔っ払いの叫び声と女性の笑い声。



じっと明日の朝を待つ。自分の心臓の音だけが聞こえる深夜。

入院病棟は携帯メールも禁止されていた。

夜10時。携帯を持って外来受付けまで行く。


そして彼女からのメールを受信する。

『今度は何処に行きたい?』

『水の見えるところがいいな』

『海?川?湖?』

『海だね、断然』

『了解。じゃ明日までに作戦を練っておくわ。また明日。オヤスミ』

『うん、また明日ね。オヤスミ』


携帯を切り、病室へ戻る。

孤独が支配する闇と冷たいベッドだけが僕を待っていた。

そして、明日を迎える。明日の夕方にはまた携帯が使える。その時に送る携帯メールの文面を考えて眠りにつく。


彼女の存在だけが、僕に生命の炎を燃え立たせる。


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「携帯メール」(4)

(2)


秋の気配が、知らないうちに忍び込んできた街。

今日の仕事も終り、駅へ向かう道を私は急ぎ足で歩きながら時計を見た。

あと2分で次の電車が出る。

私は足を速めた。



夕暮れの買い物客が多い道を、私は駅へ向かう。

一番星が、そろそろ出るころかしら。

仕事……。

私にとっての仕事。生活の糧を得るため?外との関わり?

まぁ、いいわ。とにかく、今日の仕事もきっちりとクリアした。

偏頭痛さえ来なければ、今日もそれなりの一日として私の中では終わる。


電車の発車ベルが鳴っている。

改札を走り抜け、電車に向かったけれど、目の前でドアは容赦無く閉まった。


フッと思わず出るため息。

私は仕方無くプラットホームをブラブラと歩く。

夕闇が街を包み込んで行く。

一軒、一軒の家から出ている光。

あの光一つに、一つの家族が有る。 光一つ一つに、それぞれの人間の幸福と不幸が含まれていることを私は知っている。

でも、この前までは、それは歓びと哀しみを感じさせない無機質な光として、私の目には映っていた。



携帯が振動した。

『業務終了!今日は一日「会議は踊る」だったよ。狸と狐の運動会(笑)。僕はこれからジムへ。君は? 』

私の体から疲れが消える。

『私も終り。電車を逃しちゃった。本でも読んで次の電車を待つわ。』


私と同じあの人。

私と違うあの人。

「風の歌を聴け」をいつも持ち歩くあの人。

ベンチに座り、ブルーを読む。


……なかなか、本が進まない。

ある病院の総合受付の椅子で居眠りをしていた人。

つい小説のストーリーを自分のことに読替えてしまう癖がついてしまった。

主人公の男女を自分たちに置き換える。


初めて会った日から、まだ数えるほどしかあの人とは逢っていない。

病院の待合室で初めて出会うのも、おかしな出会いだ。

二度目に逢った日の夜に、人通りの中でいきなりキスをしてきたあの人。

それに反応した私。

携帯メールは私たち二人を結ぶ、細い糸。

何色の糸かは、知らない。でも、今は唯一の糸がそれ。



駅のプラットフォームで電車を待ちながら、携帯電話の電波が飛び交っている夜空を見上げた。

一体、何本の糸が走っているのかしら。

澄んだ夜空で月が輝き、星が瞬く。 もう秋が来ていることを夜空は告げている。

私は本を閉じると、やってきた電車に乗った。

あの人のいない家へ帰らなくてはいけない。


携帯メールが届く。

『きみの読んでいる本は何?僕は科学の終焉を告げる本。既に科学は終焉を迎えているんだって。』

親指で返事を書く。

『私はブルーよ。もう読んだ?』

送信。


すぐに届く返事。

『今度、読むつもりだ。面白い?』


『読んでみて。今度逢った時に感想を。』

『了解。』


夜を走る電車は否応無く、私とあの人の距離をさらに遠のかせる。


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2014年08月19日

「携帯メール」(3)

検査結果をメールで送って、街を彷徨っていた。

携帯電話が震えた。

今度は3回で止まらない。

画面には彼女の名前が出ていた。



「大丈夫?」

彼女の声は、いつでも僕の気持ちを暖かくさせる。

「きみこそ、今は電話大丈夫なの? 彼は?」

「今日は残業で遅いの。本当に胃がんなの?」

「うん。でも初期の胃がんだから。癌の種類にもよるけれど、取ってしまえば5年以上の生存率は90%以上さ。」

「……。」

携帯の向こうから、息を吸い込む音がする。

「来月、また口からファイバーを入れて、ちょこっと癌を取れば終りさ。」

「……。」

無音が夜の向こうから伝わってくる。




やがて、無言の携帯の向こうからは、彼女の嗚咽の音が聞こえてきた。

クールで、いつも冷静な彼女。

自分を出すことに敏感で、いつも斜に構えるふうを装っている彼女。

その彼女の涙の落ちる音が携帯の向こうから聞こえてくるようだ。


それは、僕の心も動揺させた。



「大丈夫さ。多分、転移もしてないだろうし。 I 期という初期だよ。幸運すぎる早期発見だ。」

彼女は声を殺しながら、涙を落としているようだ。

鼻をすする音が晩秋の冷たい空気を震わせて、僕の耳に届く。


僕は、自分の知識を総動員して、医師と話しをしたこと、その結果、癌組織さえ取り除けば問題無いことを彼女に伝えた。

彼女に説明しているうちに、それは自分のことではなく、治験に参加してもらった被験者さんのことのように思えてきた。

そのことで、僕自身は落着いてきたが、彼女には効果が無かった。



普段のメールのやりとりでは知りえない彼女の痛みが伝わってくる。

「食事は摂った? 彼の食事の準備も済んだ?」

できるだけ、現実の場に彼女を持っていこうとした。

その僕の試みは、逆効果だった。

彼女は、声を出して泣き始めた。



僕は街の小さな公園に入り、ベンチに座った。

こんな所に公園が有るなんて誰も知らない、置き忘られた公園のベンチで、枯れ葉を散らす公孫樹を見上げた。

そこには広い夜空が広がっていた。

枝の向こうにオリオンが光っている。

地球は何事も無かったように、いつもの速さで自転しているようだ。


「ごめん。もう大丈夫。」 鼻を大きくすする音がしてから、彼女はそう言った。

「びっくりしたよ。」

「びっくりしたのは、こっちよ。」

「まぁ、そう言うわけで大丈夫だからさ。心配しないで。」

「ごめんね。かえってあなたを心配させたようで。 もう二度と泣かないわ。」

「うん。」


いつもは強気の彼女は静かにため息をつくと、これから私が貴方のために神様にお祈りしてあげるから大丈夫よ、と言って携帯を切った。

僕はベンチで煙草に火をつけ、オリオン座に向けて煙を吐いた。

僕の命が煙草の煙と一緒に、公孫樹が伸びる夜空に向かって流れていった。

煙を見ながら、胃壁に出来た小さなポリープを思い出し、悪態をついた。

その悪態はビルの壁に跳ね返り、僕のところに戻ってきた。それは悪魔の声に変わっていた。



丁度、今から一年前の秋、僕はある病院に治験を依頼しており、婦人科にモニターとして1ヶ月に一度はその病院に通っていた。

医師とのアポは大抵が時間通りには行かない。

その日も、急遽、オペが入り、僕は1時間ほど待たさることになった。

婦人科の前で待つのは、なにかと落着かないので、僕は総合外来のソファーで本を読みながら時間を潰していた。


「落ちましたよ。」 気が着くと僕は居眠りをしていた。目を開けると栞を僕に渡す女性が立っている。

「ありがとうございます。」

彼女は僕に微笑みと栞を渡すと、隣のソファーに座り、本を広げた。

その本は、僕が今、読んでいる本だった。


「風の歌を聴け」


これまで何回、読み返したことだろう。

ページがぼろぼろになっては、買い替え、そしていつもポケットに入れて持ち歩いている本。

作者の生まれた街まで、行ったことがある。

大学卒業前に行っておきたくて、ただ同じ風景を見たくて、一度だけ行った

港の見える街。そして山。

僕の誕生日に大きな地震で崩壊しかかった街。

いつか、もう一度行きたい街。

彼女の読んでいる本も、カバーの角が切れかかっている。


「その本が好きなようですね。」

「えっ?」

「僕と同じだ」と言って、持っていた7代目の「風の歌を聴け」を見せた。

「そうですね。……私達、同じですね。」

笑顔が光の中に生まれた。


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2014年08月18日

「携帯メール」(2)

吐血してから2週間。

僕の胃に悪魔が住みついていた。

胃カメラを覗いていた医師が僕に言った。

「あなたはラッキーだ。幸運だった。」

喉からファイバーを突っ込まれている僕は、目に涙を浮かべ、さっきからこみ上げてくる吐き気と戦うのが精一杯だった。

何故、幸運なのか、それは正式に検査の結果が出た今日、知らされた。


「出血の原因は胃潰瘍でしたが、胃がんも見つかりました。」

「……。」

「製薬会社にお勤めですね? しかも抗癌剤を出している。うちの病院でも使ってますよ。」

「……。」 ほんの数分前と違う、別次元の世界に飛び込んだような錯覚を憶える。

「MRですか?」

それは僕に向けられた質問のようだった。ほかに誰もいない。

「臨床開発を……」 他人が答えているような声が、診察室を反響して耳に届く。

「だったら、話しは早い。」

医師は、カルテを僕に見せた。

「あとで写真も見せますが、ここに I 期の胃がんがあります。で、ここに胃潰瘍が別にあります。今回の吐血の原因は胃潰瘍でした。」

カルテに書かれた胃の絵に流れるような矢印が書いてあり、その矢印は胃底を指していた。

そして、矢印の出発点には「tumor」の文字。

間違い無く、癌だった。


「吐血が無かったら見つからないような、ごく初期の胃がんです。 簡単に切除して取れます。癌種はその癌組織をとってから調べます。」

仕事で理解していることが、自分の世界に入ってくると、それはまるで他人のようだ。

淡々と事務的に説明する医師。

「これが、あなたの胃です。」と医師は鮮明な写真を見せてくれた。

「ここが出血のあとです。これは胃潰瘍。そして、ここが見つかった胃がんです。」


明るい光が診察室の窓から指し込んできた。

その診察室内を事務的に働き回る看護婦。

清潔感漂う、その看護婦の白衣が太陽の光を跳ね返していた。

posted by ホーライ at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ロマンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月17日

「携帯メール」(1)

晩秋の東京では落ち葉がゴミと認識される。

僕はそのゴミの上を歩いていた。 道路に降り積もった公孫樹の葉の上を。

今夜は流星を沢山見ることができると街を行く人たちが話している。

空を見上げてみたが、街の明りでシリウスさえやっと見える程度だ。



都会には夜空が必要無いとでも言うように、ビルの窓から、飲み屋の看板から、クリスマスのイルミネーションから光が夜空へ放たれていた。

胸ポケットで携帯が3回震えて止まった。


『調子はどう?検査の結果は?』


短い文章は彼女が自由にメールを打てる時間を見つけ、必要最低限のことだけを伝えてくれるからだ。

遠い街から流星が降る夜空を飛んで、東京の片隅まで届く彼女からの言葉が僕の生命を支えていた。

『検査の結果は胃がんの初期。来月切除予定』

僕も簡単に携帯のボタンを押して返信する。

人間の命について、ポケットに入る機械のボタンで伝えられる時代に僕は生きていた。

posted by ホーライ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | ロマンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

街と生きる

街が眠りにつく頃に僕は覚醒する

僕が眠りにつく頃に街は活気づく



裏と表のコインの顔が違うように

僕も街も顔を変えている



騒音を子守唄にして育った僕に

街は何もかも隠してくれた



僕はこっそりと薄目を開けてお昼の街を眺めた

昼間の街はとても健康そうだ


明日からは街とともに起きて、街とともに眠ろうか

それがいいと公園の鳩が鳴いていた


posted by ホーライ at 04:28| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大道芸人

吉祥寺の井の頭公園で僕は「谷川俊太郎」の詩集を開いていた。

大道芸人が口から火を噴いて、公園の池の鯉が飛び跳ねた。

詩集を読み始めると僕は詩人なのだという幻想を抱く。



「谷川俊太郎」の詩は簡単だけど、本当の意味は分からない。



大道芸人が僕を呼び出し、ボーリングのピンが僕の頭の上をかすめさせた。

その時、谷川俊太郎のように僕は茫然とした。

時代に、芸人に、僕に、詩集に。

あなたがもう来ないと分かったことに。


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日本の成分

手のひら返しにとまどっている

1週間前は優秀なリーダーと思われていた人が今では時代錯誤的に「戦犯」だという

この節操の無さ

日本はそれで、できている

国民は、その味に慣れてさえいる



posted by ホーライ at 04:24| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大脳皮質と2B

鉛筆が机から落ちて、その音できみが目覚める。

安心していい。

落ちたのは、ただの鉛筆だから。



僕はそのただの鉛筆を拾い、宇宙を描こうとしている。

夫婦して、あてど無い夢を見ているようだ。

妻は大脳皮質系で、僕は2Bの鉛筆で。


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青い星の裏側の裏側で

梅雨の中の束の間の青空が広がる国の裏側でボールが世界をひとつにするという幻想が流れていた。

そのサンバの国の裏側で軍用機が撃ち落されていた。

宇宙ステーションから見える地球はいつものように青く瑞々しさを保っていた。

奇跡の星で奇跡は起きないものか。

posted by ホーライ at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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