2014年09月05日

「携帯メール」(9)

(10)

海へ向かう船が見える。

緑と青でライトアップされたホテル。

その夜景の前に座っている彼女。

「ここのパスタ、おいしいわね。ピザも。」

「うん。少し風が寒いけれど。味は悪くない。」

ビル・エバンスのピアノが流れる空間と時間を二人で共有する。

「手術は何時から?」

「10時。」

「OK。その時間に私はあなたのほうへ向かって、祈りの言葉を送ってるわね。」

「ありがとう。」

「どれくらいかかるの?」

「オペ自体は1時間もあれば終わるよ。」

「人工声帯はすぐにつけるの?」

「それは、一年後くらいにね。まずは、癌細胞を叩くことに専念しないといけない。」

「そう。」



暗い照明の中で、彼女の瞳が僕を見据える。

「薬は?」

「飲むよ。」

「副作用はあるの?」

「うん、一般的な抗癌剤の副作用がね。毛髪が抜けたり、吐き気とか、下痢とかね。それは薬を使い始めてからでないと分からない。」

「でも、あなたは薬の専門家だから、いいわね。お医者さんに薬の指示を出したらいいんじゃない?」

「そうだね。僕は薬剤師だからね。」

「そうよ。薬に関してはお医者さんより詳しいんでしょ。」



話しながら、彼女の目から涙が流れ、港の光に反射して頬を伝わっていた。

口元に笑みを浮かべながら、彼女は僕を見つめる。

「携帯メールは打てるからいいわよね。」

「病室からは打てないけれど、散歩がてらに病院の外に出て送るよ。」

「どれくらい入院しているの?」

「多分、1ヶ月くらいかな。しばらくは点滴で、それから流動食だ。」

「じゃ、今日は沢山食べて。まだ他にも頼む?」

「地中海風リゾット。」

料理と音楽と夜景と彼女。

時間が一秒ごとに使われてゆく。


「抗生物質も使うの?」

「うん、オペのあとは必ず使うよ。感染病にならないようにね。」

いつもより、おしゃべりな彼女。



----- *** -----



料理が喉を通らない。

テーブルに来たリゾットを彼のお皿に取る。

今日だけは沈黙が怖かった。

彼が「最後の言葉」を言い出すのが怖いから。

私は話し続ける。

彼に質問し続ける。

それにいつものように答えるあの人。

時間が私の心の中で壊れてゆく。


食事が終り、レストランを出る。

海からの冷たい風が、私の涙を乾かしてゆく。

「今日は改札まで送らないわ。そこの公園のところで見送る。」


海の波間に映る街の明り。 海から戻ってくる船。

彼の逞しい腕が、私を覆い尽くす。

抱きしめる彼の体。

汽笛が夜空に響く。


唇を離すと、彼が語りかけてきた。

「今日までありがとう。」

うなずく。 涙が意志とは関係なく流れ出す。

「退院したら、また逢いに来るよ。」

「私のこと、忘れたら承知しないからね。」

「もちろんさ。また、来るよ。メールも送る。」

「指を骨折しないでね。」

「そうだね。……今日は楽しかったよ。じゃ、またね。」

「うん。」

彼が私の体を離し、目を見つめる。

「愛しているよ。いつまでも。」


彼は、そう言うと笑顔で駅へ向かった。

私は彼の言葉を抱きしめながら、見送る。

私は彼の言葉を繰り返し、頭に思い浮かべながら、ここで彼が迎えに来る日を待つ。

携帯電話を持って。


    (終了) 


posted by ホーライ at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ロマンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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