ジャズ・バーのオーナーが負債を抱え、このバーを手放すことになった。
新しいオーナーは、ここは古臭いジャズよりも、若者向けのアウトレットのほうが向いていると判断した。
そして、アウトレットにはピアノは不似合いであることも、同時に(そして瞬時に)判断した。
ビジネスが上手い新オーナーは私を法外な値段で北海道にある公共ホールに売りつけた。
私を待っているのが暖かい拍手ならいいのだけれども。
小さな北の町。
私は月に一度ある「ピアノ教室発表会」で、子どもたちと一緒に音楽を楽しむ。
調律は半年に一度になったけれど、ここにはタバコもアルコールもない。
夜は大きなホールのすぐ脇にある楽屋に置かれた。
音がしない建物で一人で暮らすのも悪くない。暗闇さえ怖くなかったら。
子どもたちは緊張した顔で私に向かい、汗ばむ指で私の鍵盤を弾いた。
それは、私の励みになった。
子どもたちというものは、常に不安にかられ、将来を悲観するものだが、決して成長を止めるものじゃない。
伸び盛りの人間とともに過ごす時間は、私を安心させた。
老齢のジャズ・ミュージシャンとばかり時間を過ごしてきたせいだろうか。
ある日、私の住む音楽ホールが火事になった。
浮浪者が北海道の厳冬に耐えかねて、暖をとるつもりだったのかもしれない。
煤にまみれた私は、お払い箱になった。
無用となったピアノがどういう運命になるのか私は知らない。
このまま焼却されるのがおちかな、と私は諦めていた。
神戸の街から東京の雑踏へ、そして北海道。
もう、これで私も十分だ。
暖かい家庭を見た。
円熟したジャズシンガーの魅力も知り尽くした。
伸び盛りの子どもの才能を驚嘆した。
これ以上、私のピアノ人生に何を望むというのだろう。
十分だ。
最後は煤にまみれたが、私は私を演じきったのだから。
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